読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

みゅひゃぁ

古田織部正重然に魅了され、『へうげもの』を目指す流浪者によるうぇぶろぐ。日々の雑記やプロ野球についてを、時折22時30分更新するで候。

空々漠々 第1話 『帰参』

小説

「全国放浪の旅は楽しかったか、本多君。」

 小さな会議室。その中央のパイプイスに座る、男性に向かって、どこか嫌味の籠った、低音の質問が飛ぶ。男はイスに座ったまま、その言葉を軽々と受け流し、淡々と話を始める。

「まずは、『曳馬』支社を『浜松』本社へ改めましたこと、お祝い申し上げます。」

 男はパイプイスから立ち上がることもなく、マニュアル通りのように頭を下げる。数秒間、頭を下げた後、また淡々と、話を続ける。

「この度、御社の大久保総務部長より、再雇用を推薦されました。お忙しい中、お時間を割いていただいてありがとうございます。まずは履歴書を。」

 着ていた黒いスーツの内ポケットから、白い封筒を出した。白い封筒には、朱字で『就職関係書類内封』と記載されている。封筒を目の前に座っている恰幅の良い男性に渡すと、その男は、即座に封筒を破り捨てた。

総務部長よりすべて聞いている。」

 一瞬の沈黙の後、恰幅の良い男性は立ち上がり、右手を差し出した。

「よくぞ戻ってきたな、正信。歓迎するよ。」

 

 パイプイスに座っていた男の名前は、本多正信。どこか飄々としながらも、その立ち振る舞いは危機迫るのがあった。そして、恰幅の良い男性こそ、小さな頃からの、遊び相手であった、徳川家康である。現在は、株式会社徳川興業の社長となっていた。株式会社徳川興業。愛知県の三河地方と、静岡県の西部地方に拠点を置く企業である。当初は、岡崎に本社があったのだが、業務拡大に伴い、浜松にあった支社を本社に変えたばかりだった。

 ドアがノックされると、一人の男性が会議室へ入室してきた。

「社長、終わりましたか。」

 一人の男性が物静かに問いかける。

「おぉ、大久保君。終わったよ、終わった。早速、入社の手続きを頼むよ。そうだな、正信のために秘書課を創設するか。」

 家康は満足げに答えた。入室してきたのは、総務部大久保忠世だった。今回の入社への段取りをすべて仕切っていた男である。

「社長、宜しいですか。今回の入社に関しては、その、いわゆる『コネ入社』というものです。社内には、この入社を良いと思わない従業員が多々おります。あの、特に営業一課の本多忠勝などは、社長室に怒鳴り込む寸前までだったので。その辺りは、よしなに頼みます。」

どこか心配そうな顔を浮かべながら、家康へ頼み込む忠世だった。家康はその言葉を聞くと、一つ深いため息を吐く。

「分かっておる。そうだ、近々、滋賀の姉川で大きなコンペがある、と情報が入った。正信、すまんが、社の従業員を納得させるために、お前もそこへ向かってくれ。忠世、それで社内には話を通せ。」

 忠世の心配を一蹴するかのように、指示を飛ばす家康。忠世に反論をさせる間もなく、

「今から正信と浜松を案内するついでに直帰するから、あと宜しくね。」

 と満面の笑みをこぼしながら、正信と二人部屋から出て行った。

 

「で、結局何年放浪の旅に出てたんだっけ?」

 とある居酒屋で、グラスを片手に持ちながら、家康は隣に座る正信に質問した。

「社内デモがあったのが8年ぐらい前だから、それぐらいかと。」

 そうか、と一言呟くと、家康は持っていたグラスの酒を一気に飲み干した。正信には家康に対し、その件で負い目を感じていた故に、回答の歯切れが悪かった。

「昔の話は、昔の話だから、な。とにかく今は、姉川のコンペを済ませて、私の秘書として戻ってきてくれ。」

 持ち前の陽気さが家康に戻ってきた。その日は、朝日が見えるまで店から店へとは移っていった。