みゅひゃぁ

古田織部正重然に魅了され、『へうげもの』を目指す流浪者によるうぇぶろぐ。日々の雑記やプロ野球についてを、時折22時30分更新するで候。

豊臣が衰退したのは確実に弟秀長の死だと思う

どうも、こんばんは。

 

今日はこんな記事がYahoo!のトップの画像ニュースに。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

今年は周辺で『徳川家康顕彰400年』とか謳ってるけど、実際に家康が死んだのが1616年といわれているから399年で、夏の陣落城が正式に400年ということになる。

なぜ顕彰399年なのに400年をしているのかよく分からない。

っていうか家康なんて1600年に死んでいて、その後は影武者だった説もあるぐらいだしね。

細かいとこ気にしてたら今まで行ったところ楽しめてないみたいな言い方してるっぽいですけど、なんだかんだ楽しめてるので全然大丈夫です((テノヒラクルー

 

大阪夏の陣で、って事は豊臣秀頼が亡くなったのも400年前と言うことになる。

豊臣家は一応この大阪の陣で途絶えたことになる。(正確に言えば秀頼の娘は出家しているので豊臣家が全くいなくなったわけではないが)

 

それもコレも全て歯車が噛み合わなくなったのは

 

豊臣秀長の存在が無くなったから

 

だと俺は思っている。

 

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歴史好きの人間なら必ず言うであろう「○○が生きていたら」を話し合う中で、必ず上位に上がる人である。多分こういう話の第一位は信長さんだろうけど。

 

秀長の簡単な略歴を話すと

  • 豊臣秀吉の弟
  • 藤堂高虎加藤清正などの築城名人を輩出する
  • 豊臣家のNo.2ポジションで、豊臣家のブレーン
  • 病死で早死にし、その後秀吉は老害が加速するせいで秀長ageが起こる

 

まぁこんな感じですよ。

そんなに大した武功があるわけでもないんだけど、なぜか豊臣家を語るときに出てくる人なんですよ。

秀長の存在が豊臣を支えたと言っても過言ではないんですよね、ホンマに。

 

今回、大阪の陣が400年と言うことで、焦点が真田信繁こと真田幸村がピックアップされると思うけども、その大阪の陣までの過程が非常に面白いわけで。

 

「今年で400年ですね。」

 

って言う簡単な事で済まされるのではなくて、そのバックグラウンドを是非振り返って欲しいね。

 

まぁ今回は秀長さんのことを語ろうと思ったけども、最後に…

 

真田幸村大坂の陣の時49歳だからね!?

 

どこぞの戦国シリーズで若い人みたいになってるけど、史実ではオッサンだから。

そういう点では、きちんとした年齢を知ってみるのも一つの楽しみですよ。

 

おわりっ。