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みゅひゃぁ

古田織部正重然に魅了され、『へうげもの』を目指す流浪者によるうぇぶろぐ。日々の雑記やプロ野球についてを、時折22時30分更新するで候。

クッソ有能な親父から生まれたクソみたいな無能、それは…

俺は友達と「それは織田信雄だ!」と散々馬鹿にしてきた。

けど、前回の清須探訪にて信雄が実はそれなりに有能だったことが分かった。

「清洲城 信長」と来れば次にくるフレーズは… - 声豚ですけど、何かご用件でも?(仮題)

 じゃあ信雄に取って代わる『クッソ有能な親父から生まれたクソみたいな無能』は誰なのだろうか。

その答えが今回の「長篠設楽原史跡探訪」にて発覚した。

 

 長篠城本丸跡。

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長篠城は現在無いけども「日本100名城」の第46番として認定されてるお城。

鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」の話で有名なお城。詳細は別記事にて。

 

長篠城跡の周囲の空堀

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この堀の急斜が個人的には好き。

 この逆側は堀が作られていない、と言うか作れない。

なぜかと言えば天然の堀と化している、寒挟川(現:豊川)が流れており、急斜面になっているからである。

で、地上部もそれに対抗してかなりの急斜面として築城したと言われており、その急斜面が好き。

 

長篠城址史跡保存館。

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 実は2年前の夏、友達とのキャンプ帰りに寄ったのだが運悪く火曜日に行ったので保存館がお休みだった。

それ故に外観は知っていたものの、内部に入るのは初めてだった。

ここで遂に俺は「無能な息子」の答えを見つけてしまったのだった。

その名は…武田勝頼である。

なぜ無能だと言い切れるのか、その答えを今回学んだこととして発表する。

  • 本来は四男なのに棚から牡丹餅で、武田軍の家督を譲ってもらえる
  • 信玄死去の際、「孫の信勝が大きくなったら信勝が優先だからな」と自分の息子の方が家督優先順位が高い
  • 信玄死去の際、「お前は風林火山の旗、使用禁止だからな」との遺言
  • 信玄死去の際、「3年は俺が死んだこと隠して内政重視しろ」との遺言にも関わらず、ガン無視して領土拡大に突入
  • 勝頼家督相続の際、配下の武将達から「あの人、一武将としては有能だけど、堂考えても大将の器じゃねぇわ」と陰口ボロクソ言われる
  • 家督相続して最初の戦である高天神城の戦いで勝利したせいで調子に乗り長篠の戦いに勢いだけで挑む
  • 信玄死んだの公表したら裏切り相次いだ(長篠城もその流れを汲んだ)
  • それに激怒した勝頼、吉田城押さえるついでぐらいで長篠城攻める
  • 長篠設楽原の戦いで信玄から仕えてきた配下の武将達が「この辺で引きましょう」と言っても「いや、俺絶対勝てる自信あるわ」と部下の意見を聞かない
  • 寝てるときに「不利だからやめとけ」と神(精霊)のお告げが聞こえたけど、その神(精霊)にブチギレして、近くにあった刀でぶった切る
  • 案の定ボロクソ負ける
  • しかもただ負けるんじゃなくて、有能な配下の武将を次々と失う
  • その後は徐々に衰退し、戦国最強が戦国最強(笑)に変わってゆく
  • 最終的に(信長の斡旋もあって)天皇から朝敵扱いされて、あえなく自刃

一応フォローだけ入れておくと、信玄の時代よりも勝頼の時代の方が武田の領土的には広くなり、内政も(序盤は)安定していた。

戦国時代ってのは勝った者が有能で正義

なので、武田勝頼という男は無能と言うレッテルを貼られても仕方が無い。

 

 そんな武田勝頼が長篠設楽原の戦いで本陣として使用した医王寺。

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 医王寺の裏山には最近出来たばかりの櫓があった。

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ここから見える景色はまさに『絶景』だった。

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そして前述した神(精霊)がいたとされる池。

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この伝説は「片葉の葦」と地元では言われているんだそうで。

ただ、ネットでこの言葉を検索すると東京の七不思議に同名の怪談がある。

それとは全くもって別の話です。(内容は上記に記したとおり)

 

その医王寺から少し下ったところにあるのが大通寺。

ここには重臣達が陣を構えていたとされるのだが、ここに一つのドラマがある。

ここにいた馬場信房・山県昌景内藤昌豊土屋昌次らが、この大通寺の裏にある盃井(さかずきいど)で別れの水盃(みずさかずき)を交わしたとのこと。

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この4人は全員この戦いで戦死する。

この別れの水盃までの過程に「勝頼に撤退を提案したけど断られた」と言う流れがあったのだ。やっぱり勝頼無能だな。

でもこの4人は「俺達この人の配下だし、決められたことには従おう。多分俺達もうダメだろうけど、頑張ろう。」と言う心意気も相まって"別れ"になったとのこと。

初めてこの話を知ったけど、勝頼が無能だと分かった事もさらに加わって、この4人がめちゃくちゃ有能だと思ったわ。

 

 ここまで長篠城攻城戦編』をお届けしてきたんだけども、次の記事にて『設楽原決戦編』をお届け!

…いやね、1つの記事に書くとえげつなく長くなりそうだったので、分けることにしたんですわ。

 

それから、別のブログでも紹介されていたので、こちらでも紹介。


014城目 46/長篠城(史跡保存館編) - だらり100名城めぐり

 

更に夜も別の内容の記事を更新する予定。

次の記事も、夜の記事もぜひご覧ください。

…ブログのモチベーション高いなぁwww

 

おわりっ。